2016年07月03日
アクソメ、アイソメ、パース、山口晃
平面でしかありえない紙面、キャンバス、コンピューターの画面上に立体を描く、ということは、つまりは平面から立体を幻想させるテクノロジーである。
建築学科ではこのテクノロジーを叩き込まれるところから始まる。平面に立体を描く技術がないことには、その先に何もできない、つまり建築学生にとっては致命的であるから。
平面上に立体を描く方法には大きく分けると2種類ある。
遠近法を取り入れたもの
と
遠近法を無視したもの
だ。
前者は要するに「遠くにあるものほど小さく描く」というもので、より人間の感覚に近いものである。
それに対して後者は、「遠くにあるものほど小さく見える」という人間の感覚を無視して、描きやすさ、考えやすさ、というものを優先させたものである。
つまり、遠近法を取り入れた画法は「人間の視点」であり、遠近法を無視した画法は「神の視点」から描かれたものである。
よく「古い日本画には遠近法がない」と言われるが、たとえば広重の作品はいずれも遠近法が使われているので、「古い日本画」というものがいつを指すのかはよく分からないが、とにかくそういうことらしい。
建築学科ではまず描きやすい方、つまり遠近法を無視した作図法を習う。
遠近法を無視した作図法としては、「アクソノメトリクス」と「アイソメトリクス」の二種類を学ぶことになる。
アクソノメトリクス、通称「アクソメ」は、平面図を適当な角度だけ回転させて、高さ方向の軸を縦に引くことで描くことができる。
アクソメの平面は歪むことなくただ傾いているだけなので、元々90°の角度を持っていたものは、90°のままである。
つまり、平面図を適当に傾け、垂直線を引くことで描くことができる。
ここでの「"適当に"傾け」、というのは要するに何度傾けてもよい、ということである。
傾ける角度が何度であっても、元の平面図は歪められることがないので、アクソメを描くのは非常に簡単である。
この簡単さからか、建築家はこのアクソメを好む人が多く、中には悪ぶって、元の平面図を傾けることなくアクソメを描くために、わけのわからない図になる、ということもしばしばある。そんなに悪ぶらなくてもいいのに。。。
この図法は当然のことながら遠近法は取り入れられておらず、平行線はどこまでも交わることがない。
アクソメの特徴が、「元の平面を歪める必要がない」ということに対して、アイソメトリックス、通称「アイソメ」は、元の平面図を歪める図法である。
X軸、Y軸、Z軸間にそれぞれ120°の角度をもたせる。
アイソメでは、この軸に沿って描くことになる。
この図法では、平面(たとえば上図では天蓋)は歪められ、直角であるところが120°にされて描かれている。
これはアクソメと比べて作図に少々の手間がかかるが、より人間の感覚に近いものである。
120°の角度を持ちながらも、各軸(X軸、Y軸、Z軸)で平行な線は交わることがない。
つまり、アイソメにも遠近法はない。
以上のアクソメ、アイソメの次に、建築学生たちはいよいよ遠近法を取り入れた図法を学ぶことになる。
遠近法の図法では、無限に遠いある点を「消点」として仮想し、すべての軸線がそこで交わる、ということを基本に描く。
この消点が一つのものを「一点透視図法」といい、左右に二つの消点を置くものを「二点透視図法」という。
上図は、消点を2点にした二点透視図法によって描いた立方体である。
この図では、垂直線が平行であるのに対して、水平方向の線はすべてが平行ではない。
これは、遠近法の基本通り、「遠くにあるものほど小さく描く」というルールに則ったものである。
この図法は、これまでの3つの図法のうちで最も手間がかかるものである。
手間がかかるものの、より人間の感覚に近い、ということから、建築の世界では、完成予想図などはこの透視図法によって描かれることが多い。さらに最近は、コンピューターによってこの透視図法を簡単に描くことができるようになったので、ここでデメリットとなる「手間」も解消されている。
さて、以上のように、コンピューターでの描画が簡単にできるようになった現在においても、依然、遠近法を無視したアイソメで描く現代アートの作家がいる。
山口晃である。
山口晃 百貨店圖 日本橋 新三越本店 2004
建築学科ではこのテクノロジーを叩き込まれるところから始まる。平面に立体を描く技術がないことには、その先に何もできない、つまり建築学生にとっては致命的であるから。
平面上に立体を描く方法には大きく分けると2種類ある。
遠近法を取り入れたもの
と
遠近法を無視したもの
だ。
前者は要するに「遠くにあるものほど小さく描く」というもので、より人間の感覚に近いものである。
それに対して後者は、「遠くにあるものほど小さく見える」という人間の感覚を無視して、描きやすさ、考えやすさ、というものを優先させたものである。
つまり、遠近法を取り入れた画法は「人間の視点」であり、遠近法を無視した画法は「神の視点」から描かれたものである。
よく「古い日本画には遠近法がない」と言われるが、たとえば広重の作品はいずれも遠近法が使われているので、「古い日本画」というものがいつを指すのかはよく分からないが、とにかくそういうことらしい。
建築学科ではまず描きやすい方、つまり遠近法を無視した作図法を習う。
遠近法を無視した作図法としては、「アクソノメトリクス」と「アイソメトリクス」の二種類を学ぶことになる。
アクソノメトリクス、通称「アクソメ」は、平面図を適当な角度だけ回転させて、高さ方向の軸を縦に引くことで描くことができる。
アクソメの平面は歪むことなくただ傾いているだけなので、元々90°の角度を持っていたものは、90°のままである。
つまり、平面図を適当に傾け、垂直線を引くことで描くことができる。
ここでの「"適当に"傾け」、というのは要するに何度傾けてもよい、ということである。
傾ける角度が何度であっても、元の平面図は歪められることがないので、アクソメを描くのは非常に簡単である。
この簡単さからか、建築家はこのアクソメを好む人が多く、中には悪ぶって、元の平面図を傾けることなくアクソメを描くために、わけのわからない図になる、ということもしばしばある。そんなに悪ぶらなくてもいいのに。。。
この図法は当然のことながら遠近法は取り入れられておらず、平行線はどこまでも交わることがない。
アクソメの特徴が、「元の平面を歪める必要がない」ということに対して、アイソメトリックス、通称「アイソメ」は、元の平面図を歪める図法である。
X軸、Y軸、Z軸間にそれぞれ120°の角度をもたせる。
アイソメでは、この軸に沿って描くことになる。
この図法では、平面(たとえば上図では天蓋)は歪められ、直角であるところが120°にされて描かれている。
これはアクソメと比べて作図に少々の手間がかかるが、より人間の感覚に近いものである。
120°の角度を持ちながらも、各軸(X軸、Y軸、Z軸)で平行な線は交わることがない。
つまり、アイソメにも遠近法はない。
以上のアクソメ、アイソメの次に、建築学生たちはいよいよ遠近法を取り入れた図法を学ぶことになる。
遠近法の図法では、無限に遠いある点を「消点」として仮想し、すべての軸線がそこで交わる、ということを基本に描く。
この消点が一つのものを「一点透視図法」といい、左右に二つの消点を置くものを「二点透視図法」という。
上図は、消点を2点にした二点透視図法によって描いた立方体である。
この図では、垂直線が平行であるのに対して、水平方向の線はすべてが平行ではない。
これは、遠近法の基本通り、「遠くにあるものほど小さく描く」というルールに則ったものである。
この図法は、これまでの3つの図法のうちで最も手間がかかるものである。
手間がかかるものの、より人間の感覚に近い、ということから、建築の世界では、完成予想図などはこの透視図法によって描かれることが多い。さらに最近は、コンピューターによってこの透視図法を簡単に描くことができるようになったので、ここでデメリットとなる「手間」も解消されている。
さて、以上のように、コンピューターでの描画が簡単にできるようになった現在においても、依然、遠近法を無視したアイソメで描く現代アートの作家がいる。
山口晃である。
山口晃 百貨店圖 日本橋 新三越本店 2004
山口晃はその参照元を日本画においており、つまりは遠近法のない世界。この遠近法のない日本画の世界に、細部までを細かく描きこむ。
「遅筆」で有名な山口晃は、時々行われる個展でも未完成の作品を見ることができる。個展の期間中もその未完成作品に筆を加える、ということをするのであるが、そこにはしばしば120°のアイソメの基本軸が見られることがある。
遠近法のない「神の視点」で、細部に宿る神までをも描きこむ山口晃。
そしてアクソメ、アイソメという図法は、人間の感覚(=遠近法)から飛躍した虚構を描くのにもふさわしいものである。
「遅筆」で有名な山口晃は、時々行われる個展でも未完成の作品を見ることができる。個展の期間中もその未完成作品に筆を加える、ということをするのであるが、そこにはしばしば120°のアイソメの基本軸が見られることがある。
遠近法のない「神の視点」で、細部に宿る神までをも描きこむ山口晃。
そしてアクソメ、アイソメという図法は、人間の感覚(=遠近法)から飛躍した虚構を描くのにもふさわしいものである。