スクリプト言語体を持たないロボット

2016年09月22日

アドリブができるインタプリタ

スクリプトとアドリブ」について書いた後で、「スクリプト言語」と続いた流れから、今度は「アドリブ言語」について書く、ということになる。(はぁ?)

「アドリブ言語」というものはない。
プログラム言語というものは、プログラマーが意図したことをプログラムに書き、そのプログラムに忠実に処理をするものである。たとえばそれがゲームで、「サイコロを振る」という要素があったとしても、そこで「1から6のデタラメな数字を出力」というプログラマーの指示に忠実に従って処理がされる。

ここで、存在しない「アドリブ言語」というものを妄想してみよう。
 

まず、コンピューター・プログラムというものはプログラマーの意図に沿って、「何らかの役に立つこと」が必須条件である。これをはずしてみるところから始めよう。

プログラマーの意図したことを時々はずれて、アドリブに走るインタプリタ

ブラウザのアドレス欄にURLを打ち込んだのに、目的のサイトとは違うところに飛ばされる。
Googleで検索したい言葉を入力したのに、検索したかったものとは違う結果が出てくる。
Kindleで今読んでいる本の続きを読もうと開いたら、違う本が開かれる。

これらは決してデタラメというわけでもなく、アドリブできるインタプリタによる"あそび"である。
このインタプリタによるあそびによって、目的のサイトとは違う新しいサイトを発見したり、検索したかったことの視野が拡がったり、ということが期待できる。(という意味で役に立ってしまっているのか?)

そしてこれは決して「言語」にアドリブ性があるのではなく、インタプリタが言語で書かれたスクリプトを離れて、あそびを加える、ということである。

そういう意味でも「アドリブ言語」というものはない。あるとすれば、「アドリブができるインタプリタ」だ。

そしてアドリブができるインタプリタの処理には再現性はない。あるのはライブ感だけ。
そのチャンスを逃すと二度と同じところには連れて行ってくれない。

人工知能はいかに人間の世界を変えてくれるか、ということばかりが話題になるが、そもそもコンピューターや人工知能が役に立たなくてはならない、という基本的なところを一旦はずしてみることによって、別の世界が見えてくるかも知れない、と僕はずっと思い続けている。

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myinnerasia at 10:06│Comments(0)コンピューター科学 

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