山田ボイス:人工無能版むてきんぐ、あるいは逆中国語の部屋自己言及型情報商材

2016年07月11日

ファースト風土

田舎の国道を車で走っていると、初めて来た土地であるにもかかわらず、以前に見たことがある風景のような気持ちになることがある。

デジャヴ。

まず、田舎には軽自動車が多い。
人口密度と軽自動車普及率は見事に反比例するそうだ。
車がないと生活できない地においては、一家に数台必要になるから、必然的に軽自動車が普及するのだろう。

そして何よりも、国道沿いにはチェーン店やフランチャイズが多い。
マクドナルド、ケンタッキーフライドチキン、吉野家、洋服の青山、ユニクロ、家電量販店、、、

日本中の田舎の国道はこれらのチェーン店、フランチャイズに埋め尽くされている。
これを「ファースト風土」と言うらしい。結構ゲスでヤンスなネーミングではあるが、「うまいこと言うなあ」と思えるのがちょっと癪だ。
全国で、あるいは全世界で画一的な商品とサービスを提供するファーストフード店によって、その地域性が奪われていく風景。
本来は都会から離れた地で、ガラパゴス的に独自の文化が形成される、というのは今では夢物語になっている。
どこの国道を走っていても同じ風景が広がるだけ。

このファースト風土を題材にした小説がある。
山内マリコ「ここは退屈迎えに来て」だ。  

これは8篇の短編からなるもので、それぞれは独立した話になっている。
いずれも田舎がファースト風土化することで退屈な場になっていながらも、都会での生活とは何らかの形で距離を置き続けている若者たち、という世界をリアルに描いたものである。

この小説を読むと浮かんでくる風景は、オピーの風景画のような、無味無臭の乾燥した風景だ。
人物を細かく描く小説であるにもかかわらず、浮かび上がる風景はノーマンズランドであるということが不思議。
それはオピーが描く人物画が人物を描いていない、ということに似ているのかもしれない。

グローバリズムは、閉じられた地域で独自に形成された文化(ガラパゴス)を壊し、人の気配を消し去り、それをノーマンズランドというべき風景と置き換える。
そのこと自体が良いことなのか、悪いことなのかはよく分からない。
そこに住み続ける若者にはガラパゴス文化は必要なかったのかもしれない。どこに行っても同じ風景だからこそ、移動する必要もなかったのだろう。

でも、退屈はよくない。 


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myinnerasia at 18:02│Comments(0)虚構 

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