アキネーターのアルゴリズムを想像で書いてみるアクソメ、アイソメ、パース、山口晃

2016年07月02日

ボケとツッコミについて

以前、中ザワヒデキの「人工知能美学芸術宣言」について書いた際に取り上げたことであるが、オープンソースの中心となるGNUというのは"GNU's Not Unix!"の頭文字をとったものである。
つまり、このGNUを展開すると下記のようになる。

GNU's Not Unix!
GNU(GNU's Not Unix!)'s Not Unix! 
GNU(GNU(GNU's Not Unix!)'s Not Unix!)'s Not Unix!

ここで、「じゃあ"G"は何の頭文字なんだよ!」というツッコミは"野暮"である。
言い換えると、"GNU's Not Unix!"の頭文字をとって"GNU"とすることはボケであり、"粋"である。
つまり、ボケは"粋"、ツッコミは"野暮"である、ということになる。

主に関西のお笑いによく見られるボケとツッコミというものは、ボケに対してツッコミが入る、という様式に沿うことで笑いが成立する。漫才で、ボケ担当の側がボケたままツッコミが入らない、というのはそれを「斬新な手法」として「ツッコミなし芸」としてする以外にはあまりない。
あるいは漫才で二人ともがボケ、というものもあまりない。もしあったとしたらそれは()シュールな笑いになる。
たとえばキリンスマッシュのように。
だから「板尾係長」もキリンスマッシュも粋なのである。

ボケに対してツッコミが入る、というのは、観客に対してそのボケを強調する役割を果たし、また、それがボケである、ということに気づかせる役割もしている。つまり「ボケとツッコミ」という様式は、分かりやすい笑いのための仕組みであり、そこには(笑)いは起こりえない。

ツッコミのないボケは、()シュールであり、不親切であり、逆育てゲーである。
説明書がついていないiPhoneも、ワイヤーフレームも、2Dも、瞑想するコンピューターも、すべてはボケである。
そして、だからこそ粋なのである。


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myinnerasia at 10:02│(笑)い 
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