2016年08月06日
不自由さから生まれるもの
小学生の頃は、図工の時間の「自由制作」が一番好きだった。
画用紙だけを渡されて「好きなものを描きなさい」とだけ言われる。
夏休みの「自由研究」が好きだった。
自分が興味があることについて好きなように調べる。
プールの時間の「自由」が好きだった。
水泳の授業でやることが一通り終わった後、時間が余ったときに先生が「自由!」と言と、生徒たちは「わぁ!」と大喜びして、残った時間をプールの中でふざける。
自由を謳歌する時間だ。
だけれどもいつの頃からか、「自由」を与えられると何もできなくなってしまった。
画用紙だけを渡されて「好きなものを描きなさい」とだけ言われる。
夏休みの「自由研究」が好きだった。
自分が興味があることについて好きなように調べる。
プールの時間の「自由」が好きだった。
水泳の授業でやることが一通り終わった後、時間が余ったときに先生が「自由!」と言と、生徒たちは「わぁ!」と大喜びして、残った時間をプールの中でふざける。
自由を謳歌する時間だ。
だけれどもいつの頃からか、「自由」を与えられると何もできなくなってしまった。
白い画用紙を渡されても、好きなことを調べる時間が充分にあっても、目の前にプールがあっても。
僕は建築学科を出ていて、一度建設会社に勤めていたことがある。
その会社は賃貸のマンションを設計から施工までする会社で、僕はそこの設計部にいた。
建築は不自由だ。
色々な制限がある。
まず当たり前のことだけど、ニュートン力学の制限を受ける。
建物が崩れないように計算をして、大きな地震にも耐えられるようにしなければならない。
法律の制限がある。
北側の土地の日照時間を保証しなければならない。
避難経路を考慮した設計にしなければならない。
建ぺい率、容積率、道路斜線、、、
経済的な制限もある。
土地に対して何戸の部屋を作れるか。
坪当たりのコスト(坪単価)で材料が決まる。
駐車台数。戸数と駐車台数の比率により、公庫からの融資額が変わる。。。
これら様々な”縛り”の中から建築が実体として形を持つことになる、ということを思い知らされた。
そしてその不自由さに耐えられなくなって、建築をやめてしまった。後悔はしていない。
建築をやめることで自由を手に入れた。
目の前に白い画用紙が渡された。
僕はそこにルールを作ろうとしている。
やっと自由を手に入れることができた、というのに。
西洋の詩には韻を踏むというルールがある。
俳句には575のルールがある。
あらゆる伝統芸能には型というものがある。
ある程度の不自由がものを創りだす元になっている。
白い画用紙を渡されただけでは何も描けない。
僕は建築学科を出ていて、一度建設会社に勤めていたことがある。
その会社は賃貸のマンションを設計から施工までする会社で、僕はそこの設計部にいた。
建築は不自由だ。
色々な制限がある。
まず当たり前のことだけど、ニュートン力学の制限を受ける。
建物が崩れないように計算をして、大きな地震にも耐えられるようにしなければならない。
法律の制限がある。
北側の土地の日照時間を保証しなければならない。
避難経路を考慮した設計にしなければならない。
建ぺい率、容積率、道路斜線、、、
経済的な制限もある。
土地に対して何戸の部屋を作れるか。
坪当たりのコスト(坪単価)で材料が決まる。
駐車台数。戸数と駐車台数の比率により、公庫からの融資額が変わる。。。
これら様々な”縛り”の中から建築が実体として形を持つことになる、ということを思い知らされた。
そしてその不自由さに耐えられなくなって、建築をやめてしまった。後悔はしていない。
建築をやめることで自由を手に入れた。
目の前に白い画用紙が渡された。
僕はそこにルールを作ろうとしている。
やっと自由を手に入れることができた、というのに。
西洋の詩には韻を踏むというルールがある。
俳句には575のルールがある。
あらゆる伝統芸能には型というものがある。
ある程度の不自由がものを創りだす元になっている。
白い画用紙を渡されただけでは何も描けない。
myinnerasia at 08:07│Comments(0)│創ることについて