2016年06月07日
2Dは逆育てゲーだ
高い建物から街を見下ろすことは顕微鏡を覗くことに似ている。
その建物が高ければ高いほど、街の音が遠くに聞こえ、遮断された窓の場合は、街の音は
完全に聞こえなくなる。
街を行き交う人々が小さく見えるが、そこに生活感はなく、ただの「動くもの」としか見えない。
人も、車も、すべてのものが厚みを失った2Dの世界になる。厚みを失った2Dのアジア。
顕微鏡で覗く世界も同様。
音もなく、厚みもなく、リアリティからは遠くにある世界。顕微鏡の中の小アジア。
本来、厚みを持つはずの微生物は、僕たちの認識としてはいつも2Dとして考えられる。
平面絵画は3Dの世界を2Dに閉じ込めたものである、と考えることもできる。
特に西洋絵画では、遠近法という技術によって、古くからVR(バーチャル・リアリティ:仮想現実)が
行われてきた。
一方、初期の日本画は、輪郭を線で描き、遠近法を持たない、と言われる。
マンガは日本画の系譜の延長上にある。
3Dであるはずのものを2Dで描くということ。
遠近法によって肉眼で見えるままに描こうとしなくても、VRのヘンテコなメガネをかけなくても、
そこにリアリティーを感じる、という鑑賞者の力。
この力こそが人間のリアリティーである。
そして、2Dで描かれた絵は、線画(=ワイヤーフレーム)は、観る者にそこにリアリティーを感じるよう
努力することを強いる、逆育てゲーにほかならない。
その建物が高ければ高いほど、街の音が遠くに聞こえ、遮断された窓の場合は、街の音は
完全に聞こえなくなる。
街を行き交う人々が小さく見えるが、そこに生活感はなく、ただの「動くもの」としか見えない。
人も、車も、すべてのものが厚みを失った2Dの世界になる。厚みを失った2Dのアジア。
顕微鏡で覗く世界も同様。
音もなく、厚みもなく、リアリティからは遠くにある世界。顕微鏡の中の小アジア。
本来、厚みを持つはずの微生物は、僕たちの認識としてはいつも2Dとして考えられる。
平面絵画は3Dの世界を2Dに閉じ込めたものである、と考えることもできる。
特に西洋絵画では、遠近法という技術によって、古くからVR(バーチャル・リアリティ:仮想現実)が
行われてきた。
一方、初期の日本画は、輪郭を線で描き、遠近法を持たない、と言われる。
マンガは日本画の系譜の延長上にある。
3Dであるはずのものを2Dで描くということ。
遠近法によって肉眼で見えるままに描こうとしなくても、VRのヘンテコなメガネをかけなくても、
そこにリアリティーを感じる、という鑑賞者の力。
この力こそが人間のリアリティーである。
そして、2Dで描かれた絵は、線画(=ワイヤーフレーム)は、観る者にそこにリアリティーを感じるよう
努力することを強いる、逆育てゲーにほかならない。