2016年06月14日
ロイ・リキテンシュタイン:最小単位=ピクセルというリアリティ
西洋画と日本画の大きな違いは、西洋画では早くから遠近法が取り入れられ、平行線が
画面上では平行ではなく、遠くの点に収束するように描かれる、とよく言われる。
さらに西洋画と日本画のもうひとつの大きな違いとして、西洋画がものを"面"として捉え、陰影を
描きこむというのに対して、日本画は輪郭線を描くことでものを"線"で表す、というのもあげられる。
これら2点を見る限り、日本画は西洋画に比べてより不親切で、鑑賞者にゲームを仕掛けている、
ということ。
つまり、日本画は説明不足であり、逆育てゲーである。
そして線画というものと普通に親しむ文化的背景で育った僕たち日本人にとって、
マンガというものもすんなりと受け入れられるはずのものであった。
遠近法があり、ものを面で捉える、という西洋文化にとってのマンガというものを考えたとき、
それはかなりアバンギャルドなものであったということが想像できる。
それまで"面"と思っていたものと、それ以外の部分の境界線を線で表すこと。
面の陰影を点の集合であるスクリーントーンで表すこと。
ロイ・リキテンシュタインは、マンガ(="カートゥーン"と言うべきか?)というものが、西洋文化に
とって、アバンギャルドである、ということを浮き彫りにする作品を創りつづけたアーティストであった。
スクリーントーンの強調された点。スクリーントーンで埋められた面を縁取る、これまた強調された
輪郭線。
おそらく当時は普通に西洋文化に浸透していたはずのマンガというものが、実は西洋絵画の文脈に
おいては充分にアバンギャルドであったといえる、ということを知らしめるものであった。
リキテンシュタインは、ウォーホールと並んで、"ポップアート"の文脈で語られることが多いが、
上記の意味において、リキテンシュタインは、「誰もがうすうす気づいていることを改めて浮き彫りにした」
というあるあるネタのアーティストである、というのがふさわしい。
リキテンシュタインをただ単に"ポップ"と言ってしまうのは、あまりにも浅い。
おまえはものごとを表面でしか捉えられない人ですか?
すでに自分が属する文化(=アメリカ=西洋文化)に蔓延しているマンガ(=カートゥーン)という
リアルそのものを拡大すると、スクリーントーンのドットが現れる、ということを強調した作品群。
これを現代に置き換えると、4Kだの8Kだのの超高精細映像を観て「おお!なんとリアルなことよ!」
と喜んでいる人に、いやいやあなたが「リアルである」と思っているこの映像も、拡大していけば
最後にはひと粒のピクセルが現れるのですよ、と教えてあげること。
言い換えれば、リアルというものは、最終的にひと粒のピクセルにたどり着くところにこそあるものだ。