制作機械は質を凌駕する:大竹伸朗、プリンス、池田学伊集院光:高回転アドリブマシン

2016年06月16日

自虐的な笑いがすべていい、というわけではない

笑いの種類として、「自虐的な笑い」というものがある。(笑)いではなくて笑い。
自分がいかに劣っているか、ということをさらけ出すことで笑いをとる。
嘲笑をとることになっているのかもわからない。
でもそこには自分の弱みをすべてさらけ出してしまったあとの強さがある。
ある意味で無敵だ。

考えてみたら、フィーというのも自虐の強さなのかもしれない。
哀しき敗北宣言、という意味で。

たとえばむてきんぐは無敵ではあるが、彼のおもしろさには自虐性がある。
自らを「無職ニート」と名乗ったり、九州の方言を強調して、相手に「おまえは
シティーボーイを気取ってるのか!」とわざとイタいことを言ったり。

あるいは現代美術二等兵も、そのネーミングからして自虐的である。
兵隊の階級としては微妙な二等兵と名乗ること。
お菓子に「駄菓子」というものがあるように、美術にも「駄」があってもいいだろう、
ということで、自分たちの作品ジャンルを自ら「駄美術」と呼ぶ。

むてきんぐ、現代美術二等兵はいずれも、自虐的な態度を(笑)いにすることで
無敵になることに成功している。

ただ、自虐的な笑いの中にも、ぜんぜんダメなものがある。
サラリーマン川柳」だ。
毎年、サラリーマンから川柳を募集していて、今回で第29回とのことだが、
こんなにつまらないことを30年近くもやっているのか、とあきれてしまう。
はやくこういうのはやめていただきたい。つまらなすぎるから。

サラリーマンが日々のサラリーマン生活を自虐的に川柳にするのには別に
なんとも思わないが(おもしろくもないけど)、妻や子供から虐げられている様を
自虐的におもしろおかしく川柳にしているものが多い。
これは、自虐のように見えて、本質的にはイジメと同じものである。かっこ悪い。 

「自分で自分のことを貶めているんだから、イジメにはならないじゃないか」と
いう反論は認めない。
専業主婦が自虐的に、夫や子供から虐げられている様を川柳にすることは、
たとえそういう事実があったとしてもタブーである。笑えない。
それがそのまま逆になったというだけで、なぜ笑うことができるのか?(僕は
ぜんぜん笑わないけど)

要するに、サラリーマン川柳という醜い世界においては、サラリーマンは「誰が
叩いてもいい人」なのである。
みんなで笑いものにしよう、こいつはみんながオチにしてもいい人ですよ、という
公開処刑。

これは明らかに、むてきんぐや現代美術二等兵の自虐的な笑いとは質が異なる。
低レベルでダメダメだ。

今年のサラリーマン川柳の第一位の作品は、笑えないのはいつものことだが、
意味もよくわからない。

  退職金 もらった瞬間 妻ドローン

???
ちょっと昔の言葉で「ドロンする」という、要するに「姿が消える」という意味で
あるのは分かるが、それと「ドローン」がどう関係しているのか?
退職金と何か掛詞になっているのに僕が気づいていないだけ???
そもそも、これを一位にした理由は、やはりいつもの夫の自虐性なのか?
公開処刑なのか?

「この、『妻ドローン』ってあたりが、今流行りのドローンと掛かっていて今年っぽいでゲスよ」
「退職まで働いて、退職金貰ったら妻がそれを持って消えちゃう、というサラリーマンの
哀しさが出ていていい感じでヤンス」 
ここでもゲスでヤンスなやつらが世界をつまらなくしている。 

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myinnerasia at 06:08│(笑)い | フィー
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