2016年05月18日

前回(「書きたいことを好きなように書く宣言風」)、普通の言葉として「ピキピキくる」だとか、
「ゲスでヤンス」などという言葉を使ったが、
これらはもちろん僕が勝手に作った言葉だ。ごめん。 
ここでいう「ピキピキくる」とはどういう意味なんだろうか?

ひとことで言えば、「刺激的なものに覚醒している」状態。僕はこれを「ピキピキくる」と呼んでいる。
動詞型は「ピキる」。 
具体的に僕はこれまで何にピキピキきていたかを並べてみると、、、 

など。
最初の二つはあまりにもむかしの話になってしまうので、最近ピキピキきたものでは、
Dismalandだとか、東京ゲゲゲイだとか。

とにかく新しい世界を感じるほどに刺激的なものであるのだが、こうやって書き並べてみると、
もう一点、共通の特徴に気づく。

次の展開が読み取れないもの。

YMOもツインピークスも、愉快犯もしかり。
次にどういうことをやってくれるのか、物語がどう展開していくのかを読み取ることができない。
そこにグイグイ引き込まれていく。
そして時には観るものの期待を裏切ってくれる。良い意味でも悪い意味でも。

今後ここでは、これらのピキピキくるものたちについて、取り上げていこうと思う。 
「ゲスでヤンス」についてはまた今度。 

myinnerasia at 06:19|Permalinkピキピキ 

2016年05月17日

ここは、これまでに作った過去の作品や、これから作るものを紹介したり、それが
できるまでの考えの道程を語っていくための場にしよう、、、
、、、と思ったけどもやめた。

 作品に語らせる、という言葉がある。偉大な芸術家がよく口にする。

でも、そういう気持ちでもない。
できることなら作品を見ただけでは気づいてもらえないことを語ることのほうがいいのだろう。
だから僕はできる限り自分の作品について語ろうと思う。もちろんここでも。
でも「ゲームでもなく、科学でもなく、ましてやアートでもないなにものか」について直接的に
言葉で語るための場、としてブログを選ぶのであれば、ブログそのものはその「(略)なにものか」
以外のものになってしまう。 

そうではない。

このブログ自身も「(略)なにものか」のうちのひとつ、あるいはその「なにものか」を言葉で
浮き彫りにしてみよう、という試みであるべきものであるはず。

具体的には、、、
ピキピキくるものについてや、ゲスでヤンスなものについて、書くことで、僕自身がピキピキくる
ものを作り出すためのヒントにすることや、ゲスでヤンスなものをゲスヤンスすることで、僕を
表すこと、さらには「ランチに何を食べたか」や「ディズニーランドでピース」などをどんどん載せて
いこうと思っている。

要するに、書きたいことを好きなように書くことにした。 

myinnerasia at 22:41|Permalink宣言風 
Minnerasiaというサイトを始めてもう5年以上経つだろうか?
そのうちここでも書いていこうとは思うが、その仕組みがあまりにも複雑になりすぎたために、
僕ひとりの手には負えなくなり、結局ストップしたままになっている。

僕はMinnerasiaで何がしたかったのだろう?

僕はゲームを作りたかったわけではない。
。。。というわけでもない。
「誰もが楽しめるゲーム」には興味はなかったが、「誰かが夢中になるゲーム」は作ってみたい、
と今でも思っている。
だからといって、僕は別にゲーム作家を目指しているわけではない。

僕は科学的な実験をやりたかったわけではない。
。。。というわけでもない。
あるいは技術的な関心から、人工生命というものの研究を続けたかったわけでもない。
。。。というわけでもない。
複数のパラメータを持った人工生命を放ち、それらがどのように進化していくのか、という実験。
それをプログラムした自分にさえ、それがどういうものになるのかが予測できない、というおもしろさ。 
だからといって、僕はたとえば大学でその研究をするつもりはないし、研究者としてその分野を
切り拓こうとしていたわけではない。 

僕はアートとしてそれをやりたかったわけではない。
。。。というわけでもなさそうだ。
僕はもともとプログラマーになりたかったわけではなく、自分では「アーティスト」という自覚があった。
ただここで作ろうとしていた「なにものか」については、それを「アートである」と呼んでしまえば、
僕が思っていた、あるいは感じていた「なにものか」とは違うものになってしまうことを感じていた。
少なくとも美術館に展示されるものではない。

ゲームでもなく、科学でもなく、ましてやアートでもないなにものか。
これを僕は"Asia"と呼ぶことにした。Minnerasiaでは英語だけで書いていたので"Asia"だったが、
ここでは"アジア"と呼ぶことにしよう。
"エイジア"ではなくて"アジア"である。
"レイディオ"ではなくて"ラジオ"。しかも壊れかけてなんかいない。

"アジア"。。。
いまだにこのネーミングが正しいものだったのかどうかにはあまり自信がない。
いつの日か、もっといい名前を思いついたらあっさりと変更するかも知れない。
でも5年ほど経った今になっても、まだ"アジア"というのが最もふさわしいと思える。

Asia
アジア

我が内なる 

myinnerasia at 05:57|Permalinkアジア