できるだけわかりやすく説明してみるという実験:(もしかしたらこの世界で僕だけが気づいているのかもしれないこと)学習曲線と世界

2016年08月19日

アジア201608

このブログでは、僕が「ゲームでもなく、科学でもなく、ましてやアートでもないなにものか」としてぼんやりと思い続けていたある「なにものか」について、それをとりあえずは"アジア"と呼ぶことにして、ただ好きなように書いてきた
そうすることで何かが見えてくるだろう、という思惑の下に。

ここらで一度、ぼんやりしながらも前よりかはすこし見えてきたものについて、一度まとめておこうと思う。
2016年8月時点での"アジア"について、なので「アジア201608」と呼ぶことにした。
 

まず、なぜ僕が「なにものか」をアジアと呼ぶことにしたのか、というところから。

僕が「アジア」という言葉から連想するのは次のようなイメージだった。 
喧騒、人種の坩堝、色々な商売、大声で交わされる会話、物乞い、値段交渉(定価がない)、不法建築物(建て増し)、お金が絡んだ犯罪、、、

これは地理的な定義でのアジアだけに見られるものではなく、ヨーロッパやアメリカにも見られる光景であり、それらをも僕は"アジア"であると思っている。

そしてそのアジアは僕の心の中にもあることをずっと感じている。
だから「我が内なるアジア」。My inner Asia.

この「アジア」としか表せない「なにものか」について、ほとんど毎日何かを書き続けてきた。
まずアジア的なものとして思いついた卑近な例として、下記がある。
これらの共通点は「外部と隔離された閉鎖系の中で生態系が形作られていく」ということである。つまり、ガラパゴスということだ。
「ガラパゴス」という言葉は日本では、世界の標準から逸脱して独自に発展させた技術を揶揄して使われることが多いが、そこで使われているものも含めてガラパゴスはアジアである。このことについては下記で書いた。
そして僕は、人間の脳もアジアであることに気づく。
人間の脳は与えられた条件に適応して、うまく生きていくように学習をする。
アジアの喧騒の中に生きるエネルギッシュな人々は、食べるために、家族を食べさせるために、あらゆる手段で生活の糧を得ようとし、日々を生きている。

ネット界に見られるアジアとしてはUGC(User Generated Content:ユーザーが生成するコンテンツ)が挙げられる。特に日本独自のガラパゴス現象としては、2ちゃんねるが最もふさわしい例であろう。
完全なカオスではなく、ある程度の規則に縛られたカオス。そこでは犯罪など、想定されていないことも起こりうる。
そのシステムを創った者にさえ想定できない方向に暴走すること。
これは自然都市だけではなく、綿密に計画された計画都市までもが、やはりそれでもカオスを含むことになり、自然都市化することになるのに似ている。

つまり「都市」という言葉は「アジア」と同義である。

僕はコンセプチュアル・プログラマーとして、ここでアジアと僕が呼んでいる何ものかをプログラムで表現することを目指している。
それはアート作品のようなものに見えるかも知れないし、ゲームに見えるかも知れない。あるいは科学のようにミエルのかも知れない。
が、それらのいずれでもないなにものかであることには変わりはない。 

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myinnerasia at 08:06│Comments(0)アジア 

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