2016年06月04日
無題(笑):「無題」にはすべて「(笑)」をつけよう
作品名が「無題」となっているものもまた苦悩系アートである。
(本当は自分の個人的な苦悩を描いたものでゲスが)鑑賞者の自由な解釈で作品を
観てもらいたいから作品名は「無題」でヤンス。って。。。
解釈を鑑賞者に委ねるのであれば、作品を鑑賞させる必要などない。
鑑賞者が解釈をして、どんな解釈も正解、というのはゲームではない。
アート鑑賞はゲームであるべきだ。
いや、ゲームでも、ましてやアートでもないなにものかであるべきだ。
だから「無題」という作品名はダメ。
あるいは作品名としてではなく、本当に作品に名前がない場合は括弧書きで「(無題)」と
することになっているらしい。
アート、アート作品、アート作品に名前を付けること。考えてみればこれらはすべて虚構で、
特に「アート作品に名前を付ける」という制度に従わない、という「(無題)」は、「無題」と
しながらも「無題」とい名前を付けることでそこに意味を持たせようとしているいやらしさ
よりかはましである。
だが「(無題)」であっても、それをアートという制度からは抜け出せないまま、ただ作品に
名前を付ける、という制度から抜け出せただけのものにすぎない。
「無題」という作品名に括弧書きを加えるのであれば、「無題(笑)」が一番正しい。
(本当は自分の個人的な苦悩を描いたものでゲスが)鑑賞者の自由な解釈で作品を
観てもらいたいから作品名は「無題」でヤンス。って。。。
解釈を鑑賞者に委ねるのであれば、作品を鑑賞させる必要などない。
鑑賞者が解釈をして、どんな解釈も正解、というのはゲームではない。
アート鑑賞はゲームであるべきだ。
いや、ゲームでも、ましてやアートでもないなにものかであるべきだ。
だから「無題」という作品名はダメ。
あるいは作品名としてではなく、本当に作品に名前がない場合は括弧書きで「(無題)」と
することになっているらしい。
アート、アート作品、アート作品に名前を付けること。考えてみればこれらはすべて虚構で、
特に「アート作品に名前を付ける」という制度に従わない、という「(無題)」は、「無題」と
しながらも「無題」とい名前を付けることでそこに意味を持たせようとしているいやらしさ
よりかはましである。
だが「(無題)」であっても、それをアートという制度からは抜け出せないまま、ただ作品に
名前を付ける、という制度から抜け出せただけのものにすぎない。
「無題」という作品名に括弧書きを加えるのであれば、「無題(笑)」が一番正しい。