コンピューター科学

2016年10月19日

前回の続き。

ニューラルネットが色々な人が書いた手書き文字を正しく認識する、ということは文字そのものを学習で覚えるというのではなくて、文字を一般化して学習する能力を持っている、ということである。
このことに注目した僕は、一般的に「論理的である」と考えられている「形態理論」、たとえば「左右対称性」などのような論理的に扱うことが考えられるような問題について、そこにゆらぎ、すなわちその論理性から外れる部分があったとしてもそれらを丸めて扱うことがニューラルネットには可能なのではないだろうか?という仮説に基づいて、それを僕は実験によって証明した。
結論としては、ニューラルネットは人間と同様、形態理論から少し外れる程度のゆらぎであれば、それらを含めて認識できるようになる、ということが分かった。

形そのものを扱う「手書き文字認識」にとって、 この「ゆらぎを含む形態理論認識」というものは、ひとつメタレベルの問題を扱っていることになるのではないだろうか?
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myinnerasia at 08:08|PermalinkComments(0)

2016年10月18日

僕が20年ほど前にニューラルネットを研究していた時のこと。
当時のぼくは建築を専攻していたのでそこでニューラルネットの研究をするというのもおかしなことだが、実際に当時の建築の分野でニューラルネットの研究をしている者は、僕の知る限り僕だけだった。

建築学科でニューラルネットを研究することにどういう意味があるのか?ということであるが、僕がやりたかったことは、建築の分野で当たり前のように考えられていて、建築学科の学生の基本として普通に教えられている「形態理論」というものが、実は論理的なものではなく、非常に直感に頼ったものなのではないか?という直感に基づく仮説についての考察だった。

そして「ニューラルネットは手書き文字を認識することができる」ということに注目した僕は、それを形態理論の認識に応用できないだろうか?ということを考えたわけだ。

このとき重要なことは、当時「形態理論」と呼ばれていたものが本当に論理的なものであるのであれば、コンピュータでそれを判定することは難しいものであるとは思わなかったが、そこに「あいまいさ」が加わると、普通のコンピューターのアルゴリズムではそれを判断することができなくなってしまう、ということだ。
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myinnerasia at 08:09|PermalinkComments(0)

2016年10月17日

第1回第2回に続き、第3回人工知能美学芸術研究会(AI美芸研)に参加してきた。
「参加してきた」とは言うものの今回もこれまでと同様、野次馬以上恋人未満という立場で傍観してきた、という感じだ。

今回は中ザワヒデキによる「循環史観とAI反芸術」という濃い〜い話から始まり、続いて三宅陽一郎の「人工知能に、人工的な美を追求させることは如何にして可能か?」という、ゲーム制作の立場から見たAIについての話、そして斉藤環による「"意味"がわからないAIのために」という、精神科医の立場からのAI批判と続いた。

それぞれの細かい内容は省くとして、ここでは僕の感想をさらっと書いておこうと思う。
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myinnerasia at 08:01|PermalinkComments(0)

2016年10月06日

ニューラルネットワークは、与えられた入力に対して正しい出力をするように内部の状態を少しずつ変えていく。これを「学習」と呼ぶ。
これは人間が人生の中での様々な学びをもって知恵を身につけていくことに似ている。

これに対し遺伝的アルゴリズムとは、複数の個体の中から優性なものだけを掛けあわせる、ということを繰り返すことにより、より優性な個体をつくりだすというものである。ここでの「優性」とは、ニューラルネットにおける「正しい入力と出力の組み合わせ」と同様、何らかの正解があり、その正解にいかに近いか、ということである。

かつて、このニューラルネットの学習を最適化する方法として、そのネットワーク構造を遺伝的アルゴリズムを使う、というものがあった。
これによりニューラルネットは、自らの代で学習を行い、さらにその構造が最適な個体だけが残っていく、という二重の最適化により、より効率的に学習を行うことができる、というものであった。

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2016年10月04日

ブラックボックスが入れ子になった多層構造において、ある層の上位の層は、その層にとっての「意味」となる。
下位層にある「部分」が上位層の「全体」を作り上げる。
このとき、上位層である「全体」は下位層の「部分」の総和を超えたものとなる。これを「創発」という。

オブジェクト指向の本質は「ブラックボックスの利点を応用すること」と書いたが、オブジェクト指向のもうひとつの側面として、「抽象化」というものがある。
実はこの「抽象化」というものも、つきつめて考えれば「ブラックボックス化」ということになるのだろうが、「部分と全体」が層になったブラックマトリョーシカで表される多層構造の中に、この「抽象化」の概念を当てはめて考えることは不可能である。
という意味で、オブジェクト指向のもうひとつの側面である「抽象化」は、ブラックマトリョーシカとは違う次元軸で考える必要がある。
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