メタロジック

2016年10月22日

ハリボテだとかつっかえ棒だとかにたとえて、僕が「創ることについて」思っていることをダラダラと書いてみたが、要するに僕は、「見せるために創る」ということにあまり興味がないんだな、と気づいた。
「見せること」を第一に考えたものだからこそ、「ハリボテ」というテクニックは効果的な技術であろうし、「見せること」に影響を与えないのであれば、その場しのぎの「つっかえ棒」は大した問題ではないのかもしれない。
でも僕がものを創るときには、「見せること」よりもまず、その作品の本質こそを大切にしたい、と考えている。

なので4Kだの8Kだのの超高精細画像にもあまり興味がないし、映像の凄さをウリにしている最近のゲームにもあまり興味はない。

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myinnerasia at 11:55|PermalinkComments(0)

2016年10月19日

前回の続き。

ニューラルネットが色々な人が書いた手書き文字を正しく認識する、ということは文字そのものを学習で覚えるというのではなくて、文字を一般化して学習する能力を持っている、ということである。
このことに注目した僕は、一般的に「論理的である」と考えられている「形態理論」、たとえば「左右対称性」などのような論理的に扱うことが考えられるような問題について、そこにゆらぎ、すなわちその論理性から外れる部分があったとしてもそれらを丸めて扱うことがニューラルネットには可能なのではないだろうか?という仮説に基づいて、それを僕は実験によって証明した。
結論としては、ニューラルネットは人間と同様、形態理論から少し外れる程度のゆらぎであれば、それらを含めて認識できるようになる、ということが分かった。

形そのものを扱う「手書き文字認識」にとって、 この「ゆらぎを含む形態理論認識」というものは、ひとつメタレベルの問題を扱っていることになるのではないだろうか?
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myinnerasia at 08:08|PermalinkComments(0)

2016年10月18日

僕が20年ほど前にニューラルネットを研究していた時のこと。
当時のぼくは建築を専攻していたのでそこでニューラルネットの研究をするというのもおかしなことだが、実際に当時の建築の分野でニューラルネットの研究をしている者は、僕の知る限り僕だけだった。

建築学科でニューラルネットを研究することにどういう意味があるのか?ということであるが、僕がやりたかったことは、建築の分野で当たり前のように考えられていて、建築学科の学生の基本として普通に教えられている「形態理論」というものが、実は論理的なものではなく、非常に直感に頼ったものなのではないか?という直感に基づく仮説についての考察だった。

そして「ニューラルネットは手書き文字を認識することができる」ということに注目した僕は、それを形態理論の認識に応用できないだろうか?ということを考えたわけだ。

このとき重要なことは、当時「形態理論」と呼ばれていたものが本当に論理的なものであるのであれば、コンピュータでそれを判定することは難しいものであるとは思わなかったが、そこに「あいまいさ」が加わると、普通のコンピューターのアルゴリズムではそれを判断することができなくなってしまう、ということだ。
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myinnerasia at 08:09|PermalinkComments(0)

2016年10月12日

次のような数式があるとする。

40 + 40 x 0 + 1

この答えは41になる、というのが普通の日本の教育を受けた人間の答えだ。
それは掛け算を先にするから、という基本的ルールによるものだ。
つまり、暗黙的に下記のように計算されることになっている。

40 + (40 x 0) + 1

ところが、この式の答えを1とする人がいる。
また、国によっては1になることがあるという。
、、、というのがちょっと前、ネットで話題になった。

確かに電卓で上記の順に打ち込めば、答えは1となるだろう。
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myinnerasia at 08:01|PermalinkComments(0)

2016年10月04日

ブラックボックスが入れ子になった多層構造において、ある層の上位の層は、その層にとっての「意味」となる。
下位層にある「部分」が上位層の「全体」を作り上げる。
このとき、上位層である「全体」は下位層の「部分」の総和を超えたものとなる。これを「創発」という。

オブジェクト指向の本質は「ブラックボックスの利点を応用すること」と書いたが、オブジェクト指向のもうひとつの側面として、「抽象化」というものがある。
実はこの「抽象化」というものも、つきつめて考えれば「ブラックボックス化」ということになるのだろうが、「部分と全体」が層になったブラックマトリョーシカで表される多層構造の中に、この「抽象化」の概念を当てはめて考えることは不可能である。
という意味で、オブジェクト指向のもうひとつの側面である「抽象化」は、ブラックマトリョーシカとは違う次元軸で考える必要がある。
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myinnerasia at 08:04|PermalinkComments(0)